校名・校章の由来

校名
中国の紀元前、春秋時代の学者・思想家である孔子の言行を記した『論語』の述而編第七にある「亡而為有虚而為盈約而為奉難乎有恒矣」 (亡くして有りと為し、虚しくして盈つると為し、約にして泰と為す。難きかな、恒あること。)という章句による。
“(恒に変わらない信念を持っている人は)無くても有ると思い、むなしく空であっても満ちていると感じ、貧しくても心落ち着いて安らかである。むつかしいことであるよ、(この世の中で)恒に変わらない心をもちつづけることは。”という意である。
「有」とは胸に有る、つまり心に持つこと、「恒」とはつねに変わらない心ということである。「有恒」とは“他にまどわされない一定不変の心を持つ”ということである。
「恒に変わらない正しい信念を持ちつづける人間」を育成したいという願いからつけられたものである。

校章
その昔「有恒」の二文字を図案化したものであったが、現在の校章は明治44年に採択されたもので、須藤銀之助(当時の生徒・故人)氏の考案による。
「恒」の輪郭は創立者増村先生の家紋を表わす。